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曹洞宗大本山永平寺羽仁貫首が晋山開堂
福井県永平寺町の曹洞宗大本山永平寺で11日、新貫首・羽仁素道81世(92)の晋山式が執り行われ、須弥壇に上堂し、修行僧と問答した羽仁貫首は行持の精神を説き、道元禅師が示した禅の神髄を伝えた。
晋山式は前貫首・南澤道人80世の本葬儀と併催し、2008年以来18年ぶりとなる慶弔会として営まれた。中国や韓国、欧州のほか国内各宗派の僧侶ら約千人が参列した。
大梵鐘の音を合図に、羽仁貫首は塔頭・地蔵院を出発。太鼓が鳴り響く中、修行僧らが担ぐ輿に乗り唐門をくぐって山門へ進んだ。自身の境地を表す法語を読誦し、
「老杉鬱勃 不到紅塵 開放鎖鑰 無礙通眞」
と語った。
法堂で晋山開堂に臨み、須弥壇に上堂して説法を開始。6人の修行僧と問答を繰り広げ、
修行の第一義を問われると、
「日々の行持はすべて一義ならざることなし。ただ務むるのみなり」と応じ、
「脚下照顧」と禅語を述べて行持の精神を説いた。仏法の奥義を聞いた修行僧たちは「吉祥、吉祥、大吉祥」と声を上げた。
賀偈を奉呈した大本山總持寺の石附周行貫首の祝辞を、専使の渡辺啓司監院が読んだ。両大本山貫首が群馬県出身であることに触れ、「共に仏道を歩んできたことは誠に得難き法縁」と喜びを伝えた。災害被災者や社会の中で苦境にある人々に寄り添いながら、「世界の安寧と和合のため、互いに力を尽くしていくことを切に念願する」とした。
晋山式にあたって羽仁貫首は「急激に変化し続ける混迷の時代に、変わることのない仏法をいかに人々の心に届け、日々の暮らしの中に活かしていくか。それが永平寺に求められる役割の一つ」とし、「これからも禅の根本道場であり、広く世の人々の心の拠り所であり続けるよう精励する」との談話を出した。
配信 仏教タイムス
日テレ 外部リンク https://news.ntv.co.jp/n/fbc/category/society/fbb8bbbd21e2304702bc27f8bd2d7bfa85
迦葉山 龍華院 彌勒護国寺 縁起
天狗のお山として知られる当山は、谷川連峰の東、沼田市より十六キロに位置し、関東の霊域として名高い。春の新緑、夏は霊鳥「仏法僧」の声を聞き、秋には全山紅葉に染まり、冬は白雪に覆われる。
開創は嘉祥元年(八四八年)時の上野国の大守、桓武天皇の皇子葛原一品親王が比叡山三祖円仁慈覚大師を招き、国家繁栄、民主安泰の鎮守護国寺として開かれた。
唐より帰朝まもない高僧慈覚大師は、大乗経中三会の法「迦葉仏鶏足山に出現し、不生不滅を示し、弥勒下生龍華院を期す」より、遠くお釈迦様の後を継がれた迦葉尊者が第一回の経典を作られた結集の地、鶏足山と山なみが同じであるとし、初の千人供養法会を開き、迦葉山龍華院弥勒護国寺となる。
そして北関東黎明の基となり49院を擁し政治文化野中心として栄えた。
康正2年(一四五六年)改宗開山天巽慶順禅師行脚の途、弥勒中慈雲律師の高徳を慕い来山した。
慈雲律師は天巽禅師の戒定慧の三学、座禅の徳風に感得して六百年の天台宗の宝燈を譲り入定せりという、これによりて曹洞宗となり迦葉山龍華院弥勒護国禅寺と号す。
天巽禅師に随身する神童に中峯あり、十年一日の如く禅師に師事し伽藍の造営から布教法にに尽くし、常に容顔変わることがなかったという。
禅師が二世大盛禅師に譲られるや「吾、迦葉尊者の化身にて己に権化化業は終わったよって今後は永くこの山に霊し末世の衆生の抜苦与楽せん」と誓願して案山峰より昇天され、その後に天狗の面が残されていたという。
時が経つに従いその霊験は益々応所に現れ、参拝者の絶えることなく鎮守中峯大薩として祭られ迦葉山の信仰の中心となっている。
又、徳川初代将軍の祈願所となり朱印百石、十万石の格式を有し、七百十八町歩が下賜された。
当時の面影を残すものとして、旧参道を上り切った右側に天然記念物馬隠れの杉がある。
この杉より内は三蔵密教の霊域にて城主でも馬乗りを禁じ、馬が隠されても疑わずとして名付けられたものである。
特に近年は霊鳥「仏法僧」の声を聞きつつ静かに座禅堂に坐し、古く迦葉尊者の禅風を慕う研修会や、一夜俗塵をはらい心静かに家内安全や開運を願う御参籠者にて賑わっている。

